サイトの更新状況を主に、その他おお振りに関する呟きや日常の雑記など。ゲンミツに腐女子注意。
京都旅行記の続きです。
宿では月地さんのお母さんっぷりに感服。
風呂の準備、洗い物、片付け……全部こなしてくれる超天才。
つうか動け自分^^;
二日目の朝、疲れも残っているようなので、時間を1時間ほど遅らせ、ルートも変更して出発。
一番目の目的地は戒光寺。
・戒光寺
写真撮り忘れてた……。
どーしても行きたかった平助のお墓、ようやく来れて感無量。
予約しないと入れない場所なので、本堂で鍵と許可証を貰い、「蚊がいっぱい出るから、待ち構えてますから」と虫除けまで貸していただく(笑)
平助、伊東さんはじめ御陵衛士のお墓にお花と線香をお供えして、線香が燃え尽きるまで見守ることに。
幕府側、朝廷側、開国派、攘夷派、新選組と御陵衛士……色んな考え方があって、本当にいろんなことがあって、一方は賊軍とされて一方は権力を握って……でも、その時代を生きた人たちは自分の信念にまっすぐに、命を懸けて生きたんだろうなぁ、どっちが正しいかなんて言えないよなぁ、なんてしんみり考えてましたよ。
今の日本は平和だよ、平ちゃん……。・゚・(ノД`)・゚・。
緑の多い、静かないい場所でした。
観光地化されてなくて、落ち着いてて……。
平助がこういう場所にいて良かったなー。
しんみりしてるうちに脚を蚊に刺され、本堂に帰ったらお寺の奥さんが「お墓の蚊は強いんですよ」と痒み止めを貸して下さいました^^;
ちなみに本堂には御陵衛士の位牌があり、こちらも必見。
また本尊の阿弥陀さまがとっても美人さんで驚きました!
当初の予定では、このあと淀、鳥羽伏見方面に行くつもりだったんですが、疲れて体調不良の人もいるのに炎天下歩くのはきつかろうということで、鳥羽伏見のあとに行く予定だった幕末維新ミュージアム・霊山歴史館を先に持ってくることに。
こっちなら涼しいし、座って休めるところもあるからねー。
・霊山歴史館
一年前に来たときは新選組関係の資料が豊富でハァハァしたのですが、現在は大河ドラマの影響で「大龍馬展」開催中のため、新選組関係の展示はかなり縮小されてました(´・ω・`)
時代別に数種類置いてあった隊士名簿も一種類だけ…しかも山南さんがもういない時期の!
うう、ショック。
大河ドラマが終わったらまた来よう、次の大河は幕末じゃないから龍馬ブームも落ち着いてるだろう、と決意したのでした。
しかし、新選組の羽織を着て写真が撮れるのはいいけど、龍馬のパネルと撮るのはどうなんだろうなぁ……^^;
(その後、去年行った時の資料を調べたら、ちょうどその時期新選組の特別展をやっていたということが発覚。
そうか、むしろ去年が当たりだったのか……)
坂の途中にあった、倒幕派が密談したという一見さんお断りの料亭の外観を見てから、二寧坂の蕎麦屋で昼ごはん。
二寧坂の雑貨屋をちら見して、見上げると八坂塔。

「そびえ立ってんなー」と言うつもりが「そそり立ってんなー」と言おうとしてしまい、寸前で間違いに気付く。
いかんいかん、うっかり観光地で爆弾発言投下してしまうところだった……。
腐脳って恐ろしい。
電車に乗って淀へ。
・淀城址

今は苔生す石垣の一部が残るのみ。
「援軍寄越せやコラァ」と毒づいていると、地元のおっちゃんっぽい人が来て「お姉ちゃんたちどっから来た?いいもん見せてあげる」と。
なにこの胡散臭い人、と顔を見合わせてついていくと、石垣の上に上り小石を手渡され、地面に空いた穴を示して「ここに落としてみ」。
言われるがまま落としてみると、下のほうからポチャーンと水音が。
どうやらここは井戸の跡らしい…なーんだ教えてくれたのね^^;
他にも、井戸の近くに生えた木の根元に飲み込まれた手水鉢や、石垣の石に島津藩の家紋が入っていることなどなど、豆知識を色々教えてくれました。
ありがとうおっちゃん!怪しい人かって疑ってゴメンネ!(笑)
それにしても、そういう面白いものが沢山残ってるのに、その場には説明のひとつもない…うーん勿体無い。
ちゃんと整備すればいいのになー。
しかしこのおっちゃんといい宿の女将さんといい、みんな知識を披露したがってんだなぁ^^;
・妙教寺
鳥羽・伏見の戦いのとき、弾丸が貫通した痕があるということで、道に迷いつつも徒歩で何とか到着。
でも本堂が閉まってて見られず(´・ω・`)
ここで夏宮さんと藤森さんが体調が悪くなってしまって、タクシーを呼ぶことに。
私?私は旅の終わりまで元気でしたよ、馬鹿だから(笑)
旅の総大将・月地さんと相談して、次の目的地である千両松激戦地の碑を経由して寺田屋までタクシーで乗っけてってもらうことに。
タクシーの運転手さんに、月地さん持参の地図を見せて「ここに行きたいんですけど…」とお願いするも、運転手さんもわからない様子。
うーん、そんなにマニアックな場所なのか…。
「何年か前にも、この場所に行きたいって言われたけど…」と困惑顔の運転手さん、もしかしてその「何年か前」って大河ドラマやってた時期ですかね(笑)
運転手さんがわざわざ周りの人に聞いてくださって、無事目的地到着。
運転手さんありがとう!!
・千両松激戦地の碑

井上源三郎はここで戦死したといわれる。・゚・(ノД`)・゚・。源さん……。
道すがら話してたんだけど、「新選組ファンで源さん嫌いって人会ったことないよね」……うーん確かに。
温厚で世話好きの人格者、みんなの兄貴分ってイメージが強いよね源さんは。
源さん好きだよ源さん。
再びタクシーに乗り、寺田屋へ。
・寺田屋

もう閉まってる時間なのに、結構観光客が居た。
大河効果パネェ。
このあと、夏宮さん・藤森さんはお疲れのため一足先に京都駅に戻ることになり、月地さんと私の二人で伏見奉行所跡地へ向かうことに。
歩いてる途中でこんなものを見つけた。
・伏見土佐藩邸跡

結構新しいなーと思ったら、どうやら去年の12月に建てられたものらしい。
大河ブームに乗ろうとしてんな(笑)
・伏見奉行所跡

鳥羽伏見の戦いの際、新選組を含む幕府軍はここに布陣。
このすぐ近くの高台にある御香宮神社から砲撃を受け、手も足も出なかったという。
門を閉じられてしまった奉行所の塀をうまくよじ登れなかった永倉新八を、怪力の島田魁が塀の上に引き上げたという逸話も残る場所。
維新後は陸軍関係の施設とされ、戦後は進駐軍が接収、現在は団地になり、入口にひっそりと碑が残るのみ。
写真で当時の石垣の様子も残されてるけど……そりゃあ砲弾ボコボコに打ち込まれたら残るものも残らないよな。
一応雰囲気を出すためか、この碑の周辺だけ塀や団地の壁が木目っぽい色に塗られてたのが一応の気遣いか。
しかし草ぼーぼー(笑)
・御香宮神社

薩摩軍が布陣し、ここから奉行所に向けて砲弾を浴びせた。
奉行所からはほんとに近く、直線距離にすると200mほどらしい?
今は建物がいっぱい建ってて奉行所は見えないけど、当時は丸見えだったんだろうなぁ。
大きくて立派な神社、門の彫りがとってもきれい。

門の上、中央には(ちょっと見づらいけど)三つ葉葵=徳川の家紋。
その両隣には菊の御紋、その更に隣には五三菊=豊臣の家紋。
一番端っこは見覚えがあるけど解らなくって、この並びなら織田か?と月地さんと話してたんだけど、よくよく考えると、あれって土方の家紋じゃないかなぁ?
池田屋で買った新選組扇子に同じ家紋が描いてあったよ、左三つ巴。
まさかこんなところに土方の家紋があるわけないので(笑)、また違う由来があるんだろうけども。
門の下に、餌付けされてるらしい猫が集まってました。
人懐こい子が一匹いて、手を出したら擦り寄ってきた。
キジトラかわいいよキジトラ!
がりがりだった……ウチの子たちのおでぶっぷりを実感。
・魚三楼

新選組の旅、最後の目的地。
江戸時代から続く料理屋さん。
格子窓には鳥羽伏見の戦いのときの弾痕が生々しく……。

蛤御門の弾痕はただの穴だけど、こっちは抉られたような感じでした。
電車に乗って京都駅に戻り、夏宮さん、藤森さんと再合流。
二人が行かなかった場所の写真を見せつつ晩御飯を食べ、地元組、夜行バス組、そして新幹線組に別れて解散したのでした。
京都の旅日記、おしまい!
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風呂の準備、洗い物、片付け……全部こなしてくれる超天才。
つうか動け自分^^;
二日目の朝、疲れも残っているようなので、時間を1時間ほど遅らせ、ルートも変更して出発。
一番目の目的地は戒光寺。
・戒光寺
写真撮り忘れてた……。
どーしても行きたかった平助のお墓、ようやく来れて感無量。
予約しないと入れない場所なので、本堂で鍵と許可証を貰い、「蚊がいっぱい出るから、待ち構えてますから」と虫除けまで貸していただく(笑)
平助、伊東さんはじめ御陵衛士のお墓にお花と線香をお供えして、線香が燃え尽きるまで見守ることに。
幕府側、朝廷側、開国派、攘夷派、新選組と御陵衛士……色んな考え方があって、本当にいろんなことがあって、一方は賊軍とされて一方は権力を握って……でも、その時代を生きた人たちは自分の信念にまっすぐに、命を懸けて生きたんだろうなぁ、どっちが正しいかなんて言えないよなぁ、なんてしんみり考えてましたよ。
今の日本は平和だよ、平ちゃん……。・゚・(ノД`)・゚・。
緑の多い、静かないい場所でした。
観光地化されてなくて、落ち着いてて……。
平助がこういう場所にいて良かったなー。
しんみりしてるうちに脚を蚊に刺され、本堂に帰ったらお寺の奥さんが「お墓の蚊は強いんですよ」と痒み止めを貸して下さいました^^;
ちなみに本堂には御陵衛士の位牌があり、こちらも必見。
また本尊の阿弥陀さまがとっても美人さんで驚きました!
当初の予定では、このあと淀、鳥羽伏見方面に行くつもりだったんですが、疲れて体調不良の人もいるのに炎天下歩くのはきつかろうということで、鳥羽伏見のあとに行く予定だった幕末維新ミュージアム・霊山歴史館を先に持ってくることに。
こっちなら涼しいし、座って休めるところもあるからねー。
・霊山歴史館
一年前に来たときは新選組関係の資料が豊富でハァハァしたのですが、現在は大河ドラマの影響で「大龍馬展」開催中のため、新選組関係の展示はかなり縮小されてました(´・ω・`)
時代別に数種類置いてあった隊士名簿も一種類だけ…しかも山南さんがもういない時期の!
うう、ショック。
大河ドラマが終わったらまた来よう、次の大河は幕末じゃないから龍馬ブームも落ち着いてるだろう、と決意したのでした。
しかし、新選組の羽織を着て写真が撮れるのはいいけど、龍馬のパネルと撮るのはどうなんだろうなぁ……^^;
(その後、去年行った時の資料を調べたら、ちょうどその時期新選組の特別展をやっていたということが発覚。
そうか、むしろ去年が当たりだったのか……)
坂の途中にあった、倒幕派が密談したという一見さんお断りの料亭の外観を見てから、二寧坂の蕎麦屋で昼ごはん。
二寧坂の雑貨屋をちら見して、見上げると八坂塔。
「そびえ立ってんなー」と言うつもりが「そそり立ってんなー」と言おうとしてしまい、寸前で間違いに気付く。
いかんいかん、うっかり観光地で爆弾発言投下してしまうところだった……。
腐脳って恐ろしい。
電車に乗って淀へ。
・淀城址
今は苔生す石垣の一部が残るのみ。
「援軍寄越せやコラァ」と毒づいていると、地元のおっちゃんっぽい人が来て「お姉ちゃんたちどっから来た?いいもん見せてあげる」と。
なにこの胡散臭い人、と顔を見合わせてついていくと、石垣の上に上り小石を手渡され、地面に空いた穴を示して「ここに落としてみ」。
言われるがまま落としてみると、下のほうからポチャーンと水音が。
どうやらここは井戸の跡らしい…なーんだ教えてくれたのね^^;
他にも、井戸の近くに生えた木の根元に飲み込まれた手水鉢や、石垣の石に島津藩の家紋が入っていることなどなど、豆知識を色々教えてくれました。
ありがとうおっちゃん!怪しい人かって疑ってゴメンネ!(笑)
それにしても、そういう面白いものが沢山残ってるのに、その場には説明のひとつもない…うーん勿体無い。
ちゃんと整備すればいいのになー。
しかしこのおっちゃんといい宿の女将さんといい、みんな知識を披露したがってんだなぁ^^;
・妙教寺
鳥羽・伏見の戦いのとき、弾丸が貫通した痕があるということで、道に迷いつつも徒歩で何とか到着。
でも本堂が閉まってて見られず(´・ω・`)
ここで夏宮さんと藤森さんが体調が悪くなってしまって、タクシーを呼ぶことに。
私?私は旅の終わりまで元気でしたよ、馬鹿だから(笑)
旅の総大将・月地さんと相談して、次の目的地である千両松激戦地の碑を経由して寺田屋までタクシーで乗っけてってもらうことに。
タクシーの運転手さんに、月地さん持参の地図を見せて「ここに行きたいんですけど…」とお願いするも、運転手さんもわからない様子。
うーん、そんなにマニアックな場所なのか…。
「何年か前にも、この場所に行きたいって言われたけど…」と困惑顔の運転手さん、もしかしてその「何年か前」って大河ドラマやってた時期ですかね(笑)
運転手さんがわざわざ周りの人に聞いてくださって、無事目的地到着。
運転手さんありがとう!!
・千両松激戦地の碑
井上源三郎はここで戦死したといわれる。・゚・(ノД`)・゚・。源さん……。
道すがら話してたんだけど、「新選組ファンで源さん嫌いって人会ったことないよね」……うーん確かに。
温厚で世話好きの人格者、みんなの兄貴分ってイメージが強いよね源さんは。
源さん好きだよ源さん。
再びタクシーに乗り、寺田屋へ。
・寺田屋
もう閉まってる時間なのに、結構観光客が居た。
大河効果パネェ。
このあと、夏宮さん・藤森さんはお疲れのため一足先に京都駅に戻ることになり、月地さんと私の二人で伏見奉行所跡地へ向かうことに。
歩いてる途中でこんなものを見つけた。
・伏見土佐藩邸跡
結構新しいなーと思ったら、どうやら去年の12月に建てられたものらしい。
大河ブームに乗ろうとしてんな(笑)
・伏見奉行所跡
鳥羽伏見の戦いの際、新選組を含む幕府軍はここに布陣。
このすぐ近くの高台にある御香宮神社から砲撃を受け、手も足も出なかったという。
門を閉じられてしまった奉行所の塀をうまくよじ登れなかった永倉新八を、怪力の島田魁が塀の上に引き上げたという逸話も残る場所。
維新後は陸軍関係の施設とされ、戦後は進駐軍が接収、現在は団地になり、入口にひっそりと碑が残るのみ。
写真で当時の石垣の様子も残されてるけど……そりゃあ砲弾ボコボコに打ち込まれたら残るものも残らないよな。
一応雰囲気を出すためか、この碑の周辺だけ塀や団地の壁が木目っぽい色に塗られてたのが一応の気遣いか。
しかし草ぼーぼー(笑)
・御香宮神社
薩摩軍が布陣し、ここから奉行所に向けて砲弾を浴びせた。
奉行所からはほんとに近く、直線距離にすると200mほどらしい?
今は建物がいっぱい建ってて奉行所は見えないけど、当時は丸見えだったんだろうなぁ。
大きくて立派な神社、門の彫りがとってもきれい。
門の上、中央には(ちょっと見づらいけど)三つ葉葵=徳川の家紋。
その両隣には菊の御紋、その更に隣には五三菊=豊臣の家紋。
一番端っこは見覚えがあるけど解らなくって、この並びなら織田か?と月地さんと話してたんだけど、よくよく考えると、あれって土方の家紋じゃないかなぁ?
池田屋で買った新選組扇子に同じ家紋が描いてあったよ、左三つ巴。
まさかこんなところに土方の家紋があるわけないので(笑)、また違う由来があるんだろうけども。
門の下に、餌付けされてるらしい猫が集まってました。
人懐こい子が一匹いて、手を出したら擦り寄ってきた。
キジトラかわいいよキジトラ!
がりがりだった……ウチの子たちのおでぶっぷりを実感。
・魚三楼
新選組の旅、最後の目的地。
江戸時代から続く料理屋さん。
格子窓には鳥羽伏見の戦いのときの弾痕が生々しく……。
蛤御門の弾痕はただの穴だけど、こっちは抉られたような感じでした。
電車に乗って京都駅に戻り、夏宮さん、藤森さんと再合流。
二人が行かなかった場所の写真を見せつつ晩御飯を食べ、地元組、夜行バス組、そして新幹線組に別れて解散したのでした。
京都の旅日記、おしまい!
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